【考えた先に見える景色】ブログを2カ月続けて分かったこと



ブログを始めてから約2カ月経ちました。


今回は、ブログを始めて何が変わったのか、その心境の変化や得たノウハウなどを気楽に書き連ねようと思います。

ブログとはメッセージ性を考えること



私はブログを始める以前から日記を書いていたので、文章を書くということには抵抗はありませんでした。


しかし、日記とブログとでは、書くことや考えることのベクトルが全く違うという点に気付きました。


それはそのはず、ブログは「読んでもらう」という想定で書かれるからです。


読者がいるとなると、「自分だけが分かっていればいい」という文章は書けず、伝えることに意識を向けなければなりません。


つまりブログには「何かしらのメッセージ」が伴うわけです(勿論メッセージ性の無い書き方も出来ますが)。


ブログを書くというのは、その「メッセージをどのように伝えるかを考えること」なのだと私は実感してます。

人は考えることに苦痛を感じる



以前こちらにも書いたことですが、考えるというのは基本的に苦しいことです。


考えを整理できた後は「物事の見通し」が良くなり、ある種の達成感を得られるのですが、「考える」という最初の一歩を踏み出すのがかなり苦痛だったりします。


つまり、ブログを書く(メッセージを発信する)というのは、基本的に苦痛を伴うものなのです。


「ブログ書くって苦しいの?じゃあ何で書くんだよwそんなこと言われたらやる気でねぇなw」と思われるかもしれません。


しかし「ブログは苦しいよ、近づかない方が良いよ」と言ってるわけではありません。


むしろその逆だったりします。

ブログとは「考える」の習慣化



以上の考察から、ブログを習慣化するというのは苦痛を習慣化することを含んでいるということが分かると思います。


「お酒を飲む」「煙草を吸う」「性的興奮を得る」など、快楽の習慣化は簡単です。簡単というよりは、習慣というのは本来、そのように自然な欲求を満たすことで成り立つと考えられます。


逆説的に言うと、苦痛を習慣にするというのは、自然に逆らった人間固有の発想なのです。


「人間は考える葦である」という言葉は、これら人間の性質をうまく表現していると言えます。


話が逸れましたね。


要するに、ブログを書き続けるというのは苦しいことではあるが、それは人間特有の「考える」という高尚な営みであると言えるでしょう。

まとめ



ここまで内容を整理すると、私がブログを始めて得たものは以下の通りです。

  • 考えることの習慣化(苦痛の習慣化)


「え?それだけ?」


もちろん「記事の書き方」や「題材の扱い方」など、細かいノウハウも多少は得ました。


そのような具体的なノウハウはいずれ別の記事にしようと思います。


ただ、全てに共通して言えるのは「考えることの習慣化」なのです。


「人間は考える葦」です。より厳密に言うと、「人間は考えることが出来る葦」です。


ということは「考えない」ことも出来るわけです。


しかし「考えない葦はただの葦」です。


考えるというのは、苦痛を伴うがゆえに、多くの人は考えることを拒絶します。


私自身、ブログを書くことが苦痛に感じながら続けてきました。


しかし、考えた先に見えてきた世界の景色、それは確実に自分の財産になるということを日々実感しています。


その素晴らしい体験を与えてくれる一つのツール、それがブログなのだと思います。


これからもブログ(あるいは他の媒体)は継続するつもりです。


色んな思考を模索しながら、自身の脳園を散歩したいと思います。


では、本日もブログを書いて良い一日を。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です