科学とは何か。
「科学的じゃない」「科学的に証明された」など、私たちは科学という言葉を知っていますし、普段から多様されています。
しかし、「そもそも科学って何?」と問われることはまずありませんし、答えられる人も少ないように思えます。
それほど、私たちの生活に科学が浸透しているということなのですが、それゆえに「科学とは何かを答えられない」ことに危機感を覚えます。
本記事は、私がこれまでに読んできた本や経験を基に、「科学とは何か」について展開したいと思います。
科学という体系
結論から言うと、科学とは「公共性」と「再現性」によって確立した体系だと考えます。
「公共性?再現性?何それおいしいの?」ってなりますよね。言葉の意味を説明します。
公共性とは、「包み隠さず多くの人に公表されること」です。
平たく言うと、「考えたことや実験したことはもったいぶらずにさらけ出していこうぜ~」ってことです。
再現性とは、「同じ条件下で、同じ手順を踏むと、同じ結果が得られること」です。
平たく言うと、「私がやっても君がやっても同じ結果になるよね~」ってことです。
これら2つが科学における基本的な考え方です。
勿論、人によって表現の仕方は異なるでしょうが、科学とは概ねこのような体系だと言えます。
さて、この「公共性」と「再現性」を軸にすることでどんなメリットがあるのでしょうか。
メリットを一言で言うと、「大統領の主張だろうが一般市民の主張だろうが、言っていることが正しいかだけに注目し、皆で公平に審査できること」です。
誰が言ったかなんて全く関係ありません。科学ではそのような立場は徹底的に無視し、言っている内容に耳を傾け、公平にジャッジします。
科学的証明とは何か
例えば、誰かが「どんな物質でも鉄に変える方法」を提唱したとします。
まずはその内容を多くの他者に読んでもらい「公共性」を得なければなりません。
この時点ではまだ科学的価値は一切ありません。なぜなら、多くの他者による再現性が確認されていないからです。
そうすると、その内容を読んだAさんが、「何でも鉄に変える方法?ほんとかよ・・」と言って「同じ条件下で、同じ手順で、同じ結果が得られるか」を確認します。
Aさんが実験に成功し、「まじかよwトイレットペーパーの芯が鉄に変わったんだけどw」とその結果を世界に向けて報告します。
Bさん「今日の朝飯を鉄にしたったw」、Cさん「家宝の壺が鉄に変わったんだけど、どうしてくれんの・・・」、、、、と次々と成果報告が出れば、ようやく「再現性が高い」ことが世界に認められます。
そうすると、「公共性」と「再現性」が高い、つまり科学的に価値のあるものになるわけです。
このように、世界中の人の厳しい審査に耐え抜いたものが、科学的に証明されたものということになります。
ここで注意してほしいのが、「証明された」といっても、「絶対的に正しいもの」ではないということです。
例えば、Yさんが「お風呂上りの湿った綿棒は鉄に変わらないんだけどw」という報告をし、他の人によってその再現性が確かめられたら、「どんな物質でも」という言説は正しくないことになります。
(これを反証可能性といって、科学哲学の分野で議論されるものなのですが、ここでは言及しません。興味のある人は調べてみると面白いかもしれません)
このように、科学的な証明というのは、「少なくとも現時点で、ある範囲では正しそうに見える」という極めて謙虚な姿勢であることを注意したいです。(そもそも証明という言葉を用いるのが不適切に思えますが)
まとめ
科学とは「公共性」と「再現性」によって、皆で一つ一つ正しそうなものを慎重に選定していくという体系であることを説明してきました。
現代社会では、様々な情報が飛び交っています。
私たちは、その情報を見極めないと、自分自身が損をしてしまう結果を招いてしまいます。
そこで、科学的な考え方を取り入れてみると、「世の中の情報って実に曖昧で不透明なものが多いんだな」というのが見えてくると思います。
そうなんです。私たちが接する情報の多くは、科学的に価値のないものがほとんどなのです。
だからこそ、情報をうまく加工し、様々な角度から吟味し、正しそうな情報を科学の考え方で選定していく必要があると思います。
もっと科学について、科学の考え方について知りたいという方は、以下の書籍がご参考になると思います。
私はこれらの本を読んで、科学の考え方、情報社会との付き合い方などを見直すきっかけになりました。
新しい知見で世界を覗くという体験は、本当に素晴らしく楽しいですよね。
では、本日も新しい知見で良い一日を。
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