「難しいことはいいから」
「結果を早く教えて」
「そういうの時間の無駄だから」
このように「結果だけを早く知りたい」という思想は、現代社会に蔓延しているように思えます。
今回は、そんな「デジタル思考」のような思想について、私なりの視点で記事を書こうと思います。
結果とは、過程のほんの一面である
「結果だけを早く知りたい」という発想は、情報社会においてはごく自然なものでしょう。
なぜなら、知りたい情報についてGoogle先生に質問すれば、答え(のように思わせるもの)をピンポイントに教えてくれるからです。
その要領を人にも求めるのは、まぁ、ある意味で普通の流れですよね。
ただ、多くの人は「答えを知った」だけで、「理解した」気になっているように思えます。
これはかなり危機を覚えます。
なぜなら、「答え」は「過程のほんの一面」でしかなく、答えが全てを物語っているわけではないからです。
「答え」や「結果」というのは、「過程をある角度から見たもの」ぐらいに理解したほうが良いでしょう。
つまり、結果だけを見ても、本質を理解することは難しいということです。
0か1かという古典コンピュータ的な思考
このような「答えだけ知りたい」という考えは、「正しいか間違いか」「賛成か反対か」のように、「0か1か」というデジタル思考に繋がっているのではないかと思えます。
それが悪いと言っているわけではありません。
ただ、「0か1か」を明確にすることは、それ以上考えないという思考に陥りやすいです。
要するに、「答えだけを知りたい」という短絡的な思考に加え、「答えを知ったらそれ以上考えない」という思考が乗っかることで、「何も考えない」状態を生み出すのではないだろうかと思えてくるのです。
まとめ
このような状態に陥らないために、やはり、「結果は過程の一面である」という認識が必要なのではないだろうかと思えます。
そのような姿勢を持つことで、「結果という側面」から「本質」を探ろうとする「考え」が生じます。
まずは、「何でその結果になるの?」という過程重視の考えで情報に触れてみることを検討してみはいかがでしょうか。
では、本日も過程を捉えて良い一日を。
余談
答えをすぐに欲しがるのは、「0か1か」というデジタル的な発想に繋がるという話が出てきました。
実はこの「0か1か」というのは、現在私たちが日ごろから使っている「コンピュータ」の基本的な仕組みなんですよね。
これが今では「古典コンピュータ」という風に呼ばれるようになりました。
「は?古典?新しい物でてんの?」と思いますよね。
そうなんです、今では「量子コンピュータ」と呼ばれる次世代のコンピュータが世界中で開発されているんです。
その量子コンピュータは、「0であり1でもある」という奇妙な性質を持つ情報を基本としています。
より正確には「0か1は確率的にしか推測出来ない」という具合です。
「0か1か」という古典コンピュータが「デジタル思考」という思考法をもたらしたように、「0であり1でもある」という量子コンピュータは、次の新しい思考法を我々に提供するのではないかと思っています。
なので、「0か1か」という考えは、比較的にもう古い考えなのだと認識し、「一種の思考法」程度に受け止めた方が良いと思います。
あ、余談の方が長くなってしまいましたね。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
ではでは。
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