「自分のやりたいことが分からない」
「夢中になれるものがない」
「どんな仕事に就けばいいのか分からない」
今の世の中、仕事にしても趣味にしても、数十万という莫大な選択肢があります。
その選択肢の多さゆえに、「どれを選んでいいのか分からない」「そもそも自分がやりたいことが分からない」という悩みが多いように思えます。
今回は、そんな人生の悩みについて、私なりの視点で話したいと思います。
一般的な「やりたいこと」を分類してみる
まず最初に、世間一般的な「やりたいこと」について整理してみます。
「やりたいことはありますか」という質問に対する答えとして、「プロアスリートになりたい」「弁護士になりたい」「美容師になりたい」など、いわゆる「仕事」についての回答が多いように思えます。
他には、「世界中を旅したい」「色んな本を読みたい」「音楽をやりたい」等、いわゆる趣味についての回答もあると思います。
このように、やりたいこととは「仕事としてのルーティン」と「趣味としてのルーティン」に分類されるように思えます。
これを基に考えれば、「やりたいことがない」というのは、「憧れている日常のルーティンが存在しない状態」だと解釈できます。
「やりたくない」の否定は「やりたい」になり得る
冒頭にも述べたように、世の中には無数の選択肢が存在します。
無数にあるがゆえに、全てを経験してその中から一番やりたいことを抽出するのは困難です。
それでも、経験してみることで視野を高くし、やりたいことが見えてくることもあります。
むしろ、それが一般的な解決法でしょう。
「そんなこと分かってるよ」「耳にタコが出来るほど聞いたよ」という意見もあるでしょう。
ごもっともです。私もそれについて言及するつもりはありません。
そこで私が提案する意見は、「やりたくないの否定をやりたいことにする」ということです。
人は少なくとも「やりたくないこと」は持っているように観察されます。それで「やりたくないことの否定」に着眼するわけです。
どういうことかというと、「やりたくない」の否定は、「やりたい、もしくはどちらでもない」ということになると思います(デジタルに考えれば)。
つまり、「やりたくない」を否定することは、「やりたい」を含んでいる可能性があるわけです。
少なくとも、がむしゃらに選択して、やりたくないことに直面する可能性は排除できそうだ、ということです。
例えば、「働きたくない」という人の場合、「働かずにすむにはどうすればよいか」と考えることが「やりたいこと」になり得るわけです。
「ただ逃げてるだけじゃないか」と思われるかもしれません。
「逃げる」のではなく「避ける」のです。
自分にとって不都合な状況を避けるのは、危機管理能力の一つです。
もちろん、ただただ「放棄して逃げる」のは好ましくないです。
むしろ、「放棄して逃げる」という状態を作り出さないように、予め考えておき「避ける」というわけです。
やりたくないことを抽象化する
「やりたくないことを否定する」ことが「やりたいこと」になり得るということを話してきました。
次に、「そもそも何故それをやりたくないのか」ということを考える必要があるでしょう。
「働きたくない」という人なら、「そもそも何で働きたくないのか」「上司に偉そうに指示されるのが嫌だから?」「上っ面の関係が面倒だから?」「社交性が無いから?」という風に疑問を投げかけ、なぜそれをしたくないのかの本質を明らかにしていきます。
やりたくないことの本質を掴んだら、いよいよ本番です。
その本質を先ほどのように否定するのです。
否定された内容は、あなたの「やりたいこと」について有益な判断基準を与えると思います。
「そんな簡単に解決したら苦労しねぇよ・・」と思うかもしれません。
しかし、そんな「簡単なこと」で一つの価値基準をただで見出すことが出来るのですから、やっておいて損はないと思いますよ。
まとめ
要するに、「やりたくないこと」を徹底的に考えて本質を明らかにし、その本質を反対にすることで「やりたいこと」についての視点を持つことが出来る、という意見を述べました。
少し捻くれた考え方ですが、「手法の一つ」として取り入れていただければと思います。
では、本日も本質を明らかにして良い一日を。
コメントを残す